人は死んだらどうなるのか⑥[霊界とは?補足]

・霊界でお金ってどうするの?

霊界では、「お金」という通貨が有りません。
そもそも、使う必要が無いですよね。物質的な体を養う必要も無く、欲しいものがあれば思念で形作ればよい。トイレの必要もありませんし、ホコリや、ゴミ、劣化も汚れも有りませんので、掃除洗濯も必要なし。食事も必要ないですし。※只、コーヒーとか、お酒、食事もそれが必要と想うならば、その間だけ存在します。

しかし、思念で作り上げるにしても、その時点での霊性によって限界があります。
大きなものや、生命を伴う存在を作る事など出来ません。逆にそれを奪う思念も、実現することは出来ないでしょう。つまり、豚肉や牛肉を食べたいと思っても無理。主に、大地の恵みが主となります。木の実とかフルーツ、農作物ね。※食べたいと求めればの話です。

でも、例えば、家が欲しいとします。
そうすると、建築に携わっている方にお願いしたり、紹介してもらったり。
住みたい家のイメージを聞いて、色々な霊の皆さんが集まって、作ってくれるんです。その時もね、「お金」じゃ無くて、それは皆さんの「奉仕の想い」から仕事をしてくれるということ。霊界での通貨は、「愛のみ」なんですね。

故に、生前の権威・立場・役職・所有物とか一切関係ありません。
そんなものは、全く意味が成さないのです。霊としての価値は、「愛の深さ」とその霊の人徳・霊性の高さ、霊的教養の理解度によって全然違うという事です。



・霊界での仕事って何があるの?
全ては、自由意思から成り立ちます。仕事をしなきゃいけないという事ではなく、仕事をしたいと思った時に、仕事をすれば良いということです。仕事と言っても、我々の世界のように、体を酷使し、養う為に、お金を稼ぐことでは無く「自分が最もやりたかった事」「自分の魂が一番嬉しい事」を、好きなように好きなだけ出来るんです。

生前は、出来なかった夢が、全て叶う環境ですね。
ひたすら、本を読んで、勉強したければ、霊界にも図書館はあります。演奏をしたければ、そうすれば良いし、本を書きたい、映画を作りたい、歌を歌いたい、子供が好きだから、小さな子供達を育てる仕事がしたい、縫物をしたい、何かを作りたい・・etc

つまり、想像する仕事、奉仕をする仕事ならば何でもできるということ。
軍隊や、銀行、スポーツ全般の競技、ギャンブルや宗教は無いそうです。
※低い階層の霊界では有るかもしれませんね。

コンサート会場が有ったり、映画館もあるそうです。
但し、映画館は、あくまで倫理的に霊の進化の役立つ作品だけのようです。

・思念が共通言語ならば、言葉は使わないの?
まだ、思念・つまりテレパシーによる意思の疎通が出来ない方、得意ではない方は言葉も使うでしょうね。それも、練習だと思いますが、言語は、物質世界においての意思伝達の手段です。

限られた民族間にて、共通の認識を共有する為、個人の意思を伝える為に用いられた手段であって、実は相当に不十分な伝達手段と言えます。※霊からすると。故に、イメージと、心も含んだ思念ならば、多国籍の人々とも通じ合えますよね。
※只、高級霊界では、そこだけで使われる言語があるそうです。詳しくは判りません。

・水子と言われる霊はどこに行くの?
まず、一般的に、水子霊が母親を苦しめるというのは、大抵、大ぼら吹きですw
普通に考えてみれば、愛する母親を、赤子が憎みますか?w 苦しめますかね。生まれてから、自我も育っておらず、執着心も芽生えていないのに、肉体や母親に執着する訳がありません。

勿論、母親の自分勝手な理由で、生まれて来るべき霊の体を失うことは、良くない事です。当然、それを償うべきカルマは発生するでしょうけど、赤ちゃんが何かをする訳ではありません。

多くの場合は、罪悪感や、利己的な欲望に捕われている者に対して、低級霊がその心を脅かせたり、からかっているのが現実です。

枕元に出てきたとか、布団の上に乗っかってきたとか、水子地蔵の周りに沢山の赤ちゃんが見えたとか色々と聞きますが、殆どが本人の思い込みの心理作用による幻想です。霊感の鋭い人であれば、「低級霊」が見せているビジョンを見ています。

低級霊は、思念を発すると同時に、受信機でもありますから、多くの水子地蔵尊を見て、「小さな子供の霊が沢山いそうだな」と考えていたら、すぐに読み取って、そのような幻想の思念を送り付ける事は簡単なことです。
かといって、神社やお地蔵さん、お寺の仏像などを粗末にしてはいけないですよ。神仏や、産土神(土地を守っている神霊)、神仏の部下である眷属の霊や、自然霊もおりますので。

赤ちゃんの霊の話に戻しますが、「赤ちゃん」と言っても、それは肉体レベルの話です。中に宿っている霊自体は、大人であり、もう何回も再生されている方かもしれません。又、流産、死産等は、それさえも既に計画されていた場合もあります。霊は宿らずに、肉体のみ、母親の体の生理現象として発生させるということです。

只、この場合は、やむを得ない理由がある訳ですから、霊的な罪にはならないでしょう。やはり、動機によってカルマは変わってきます、ケースバイケースですね。

只、自分勝手な都合による中絶の場合は、カルマとして現世の内にその罪を償う出来事が発生します。それがどのような形で発生するのかは判りません。

カルマとは、懲罰と言われています。でも、正確には、「魂のリハビリテーション」と言った方が正しいかも。

「悪い事」というのは、魂の求める声に反している事。
「良い事」とは、魂の求める声に沿っている事です。魂の声とは、神様の自然法則(善性・愛)に則った内なる導きの声の事ですね。


そこで、カルマとは、神様の自然法に沿う様に、端正するために発生する現象であり、誰かや、何かが、苦しめる為の罰として現れるわけではありません。表面的には、恨みを買って、報いとして発生しているように見えますが、それも、「その人の魂の為に必要」な学びとして、許可されているということなんです。

全てが見事に連関性を持ち、繋がっていますね。

おしまい^^
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コメント

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こんばんは

papan0205さん、こんばんは。

霊界の中では、トイレの必要もないのですか。ということは、霊体は食事をしないということでしょうか。でも、望めば木の実やフルーツを食することができるのですよね。そこのところがよくわかりませんでした。

霊界での仕事。これは報酬なのはなく、ボランティア活動のようなものと理解しました。ただ、霊界での仕事は現世に対して奉仕するということないのでしょうか。もしあるのなら、世の中もちょっとはマシなものになるような気がします。

うめぞーさんへ

こんにちはでございます^^
霊界では、トイレは無いようですね。
只、望めば食事をすることは出来ると書きましたが、物質的な
体が無い為、消化器官も無く、又、体を維持する為の栄養素も
本質的に、必要が有りません。

けれども、それを望めば現れるというのは、つまり、執着心によって、
思念で形作ってしまうという感じですね。
思念と書きますと只の「念じる思考」みたいな印象がありますが、
霊の世界ではそれが物質化し、はっきりとした質感と、食感、
味覚も伴うようです。

「美味しいものを食べたい」という執着心、或いは生前の習慣みたいな
ものが、感覚的に満たされるということであって、消化吸収している
わけではないので、トイレは必要ないということになりますね。

>霊界での仕事。これは報酬なのではなく、ボランティア活動の
>ようなものと理解しました。
>ただ、霊界での仕事は現世に対して奉仕するということないのでしょうか。

そのとおりですね、まさしくボランティアに近いと思います。
但し、そこには、奉仕する霊にとっては「幸せ」であり、誰かのお役に
立てることで「喜び」という大きな対価を得ています。
それは、霊界内、現世共にそうですね。
慈愛、寛容、愛、善行、創造は、霊にとって一番の徳行であるといえます。

只、現世に来て、直接、人間や動物、世界に対して愛と奉仕の思いで
仕事をされる霊は霊性の高い霊ですね。

本来は、霊性が高いから故に、まさしく、天国のような世界にいるわけ
ですから、わざわざ現世に来る必要も無いのですが、自らの進化と
成長を強く望み、自己犠牲の想いと、人間を愛する強い心によって、
労多くして報われにくい大変なお仕事でも買って出るのでしょう。
守護霊、指導霊と言われる方々は皆そうですね。

どれほどに人間にメッセージやインスピレーションを送り、
いらぬ取り越し苦労や低級霊の誘惑に惑わされないように、
善行に努め、正しく、誠実に生きるようにとアドバイスしても、
人間は、「自由意志」ひとつで、それを台無しにすることが出来ますので。

守護霊に限らず、すべての霊は、霊性の浄化、向上によって、
神に近付く為の至福の境涯を目指すこと。
悟りとも言えますが、そこを目指して生き続ける過程にあります。

霊性は、停滞はあっても、退化することがありません。
つまり、高められる方向のみの一方通行であり、しかも、それが
無限の段階を持って、続いておりますので、魂の成長欲求に
突き動かされるのでしょうね。

コメント、ありがとうございました^^
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