人は死んだらどうなるのか②[死の直後2]

パパンです。
死の直後の状態について、前回記事で書ききれなかった部分の補足を掲載します。

・魂の緒(シルバーコードの性質)
物質界では、まだ未解明な性質が含まれています。柔軟性に富み、いくらでも伸びる性質があるそうです。

例えば、幽体離脱して、幽界まで冒険された方。沢山の知り合いや、見ず知らずの霊にも会いますが、出会った霊の皆さんは、繋がっているシルバーコードを見て、「あ、この人、まだ体と繋がっている、生きている人だ」と判断されるみたい。その為、生きている方と亡くなった方を間違う様なことは無いそうです。

・突然死・事故死の場合の認識は?
例えば、交通事故ですね。
あっという間に、生命が奪われてしまう、あまりにも恐ろしい悲劇です。そんな時、霊としての意識は、どうなっているのか?ということですが、ほとんどの場合は、死んでしまったことに気づかず、まだ車を運転しているつもりだったり、歩行者であれば、なんとか事故は避けられたと思っています。



でも、なんか違うことに少しずつ気づきます。痛みは全くないけど、大声出しても、誰も気づかないし、触っても素通りしちゃう。世界が、少しうすぼんやりと、霧がかかったような感じとなり、どうにも薄気味悪いと感じます。

体の重さ、衣服や、靴が地面に当たる感触も、どこか鈍くなったような感じね。

何の準備も出来ていないのに、急に死を迎えたものだから、精神的な混乱状態が続いており、生きていると思って、普通に行動しようとするのですが、やっぱり、何か変だと思い始めます。

自分の頭がおかしくなったのか。或いは、周りがおかしいのか判らない。自分の死体を見ても、すぐには理解出来ないものです。似た人が倒れている、可哀想に、事故にあったんだなぁと言う感じね、実感として他人事なんです。

事故死と、自然死、或いは病死の場合は、今の現状を認識できる度合いが全く違います。今の自分の状態がある程度認識出来て、少しずつ、「死」を認め始めるとその段階になって初めて、迎えに来てくれた方の存在に気づけるようになります。

本当は最初から側にいたのだけど、気付かないし、見えないんですね。

では、自殺の場合はどうでしょう。
自殺の場合は、死を認識しようとも、せずとも、霊のまま、その場で生かされます。只、普通と違うのは、本来、生きるべきだった年月から逃げ出した訳ですから、神様から授かった体を壊してしまった後悔と、心からの罪悪感で魂がきしむほどの苦しみを抱きつつ、本来、生きるべきだった年月、そのままとなります。

つまり、迎えが来ないんです。本来の天命を全うするまで。

やり直したいと強く望んでも、大切な肉体という霊の衣服を壊してしまった罪と、これから、その人が学ぶべき、成長すべき試練を投げだした罪はとても大きいものです。

只、全てにおいて差し引かれるのは、「動機の純粋さ」ですね。

つまり、例えば、家族や誰かの為という動機から誤った行為をしてしまった場合。学ぶべき試練から逃げ出したのは事実ですから罪の免除はありませんが、情状酌量によって、罪滅ぼしの期間が、多少、差し引かれるそうです。

動機が利己的な想いか、利他的な想いかによって、随分と違ってくるということですね。

・行動の判断が出来ない精神障害者の場合。
霊である本来の魂に障害等ありません。脳の器質的変化や機能的障害等もありますが、それらは、霊の指令を受ける肉体の「受信機」としての機能不全であり、霊の障害では有りません。

霊からの指令を受け、顕現する肉体が、機能していない、或いは、脳によってコントロールできない状態なんですね。

それは、何らかのカルマの清算の為であったり、自ら、苦難の多い肉体を選んできた高い霊性の向上を目的とされた方かもしれません。

魂のコントロールを失っている状態での自殺で、罪の責任を問われることは無いでしょうね。憑依による霊性進化の未熟な低級霊にそそのかされた場合も同様です。

つまり、精神的な病気だからと言って、罪を差し引かれることは無い。
但し、霊自体に障害はそもそも無い為、魂の動機によっては、情状酌量が有るということですね。

続きは、次回書きます^^

おしまい^^
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コメント

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こんばんは

papan0205さん、こんばんは。

まだまだ先は長いようですが、人が死んだらどうなるか?ということに、「シルバーコード」というのが一つのキーワードになってくるようですね。シルバーコードが切れないと、実質「霊(魂)」は身体から離れないわけですから、シルバーコードが切れて始めて本当に死んだと言えるような気がします。

まだ結論を急ぐのは早いですが、事故死の例を読んでも、人が死んで「霊」が離れたとしてもしばらくの間は現世にいるような感じですね。そこからどうなるかは、これからの話でしょうが。

自殺。私は自殺する方の苦しい想いについては肯定しますが、人は自分の命を自分で自ら絶つべきでないと考えています。ここ4年日本でも自殺者が減ってますが、それでも3万人近くの方が自殺で亡くなられています。お書きになられているように、このような死に方をされた場合は死後の状態が変わってくるようですね。「本来、生きるべきだった年月、そのままとなります」ということは、「霊」として身体から離れることはないということでしょうか。もしそうなら、悲惨ですね。

ちなみに、
「霊」にも情状酌量という概念があるというのが、面白いと感じました。

梅雨に入りました。体を壊す時期です。お体十分ご自愛ください。

うめぞーさんへ

こんばんは^^ うめぞーさん。
返信が遅くなってしまいました、申し訳ありません。

>「霊」にも情状酌量という概念があるというのが、面白いと感じました。

そうですね^^ 動機によってご自分の果たすべきカルマは変わってくるようです。

何も知らずに、罪を犯してしまった方と、それが罪だと知っていながら犯した罪では
随分と違うんですね。目が見えるのに道を間違える人は、目が見えない人が
道を間違えてしまった罪よりも倍以上の報いを受けると聞いたことがあります。

自殺については、本当にケースバイケースで、どうしようもなくなって、止む無く
自らの命を絶ってしまう方もおります。それは、その方なりに残された家族を
思っての事だったのかもしれませんが、我々が想像する以上に、死した後の苦悩は
計り知れない苦しみ期間を霊として生かされるのでしょう。

肉体が無い故に痛覚神経で痛みを感じることは無いでしょうね。
けれども、心・魂が感じる痛みは、肉体の痛み以上に、どぎつく、苦しいものだと
想像します。しかも、それが永遠と続くように感じるそうです。
※永遠には続きませんが、霊性が未熟なため、先が予測できない。

又、同じ境遇で命を落とした人たちが同情を装って側に近づき、霊性の向上を
阻害して、人を恨み、憎しみ、世界を呪い、自分たちの仲間となって、
他の仲間を増やそうと誘惑してきます。それも又、魂の試練ではありますが。

只、ちょっと怖い話ですが、自殺される方には、多かれ少なかれ、必ず、
それをそそのかした霊的な存在がいるものです。
心をね、深く落ち込ませ、生きていることに絶望させるように囁く人たちです。
或いは、衝動的な感情をあおったりね。

人の不幸を喜び、成長や向上をひがんで、足を引っ張る人たち。
人間でもいますよね、そういう方。
当然、そういう事される方々は、より重いカルマを背負うことになりますね。

本来、生きるべき年月を霊としてそこで学ぶ期間もありますが、しかし、魂の進化、
霊性向上を求めて、正しく生きよう、罪を償って、もう一度やり直したいという
強い決意と、行動が伴わないと、何十年、何百年とも続くとも言われています。

実際はどうなのか、ちょっと判りませんけれども、只、一つ確かなのは、
人間に与えられた「自由意思」や「創造性」は、生命を育むために使われるべき
であって、命を傷つけたり、それを奪ったりする為に使ってはならないと
思いますね。

コメント、ありがとうございます^^