無条件の愛について

パパです。
精神世界やスピ系のブログではよく見ますが「無条件の愛」という言葉です。
この言葉、文字通りの意味の解釈以外にも、全存在全てに共通するあまりにも深遠な世界が含まれていると感じます。

文字通りの意味では、「条件付きでは無い愛情」という意味ですね。判りやすく言えば、生まれたばかりの赤ちゃんに対する母親の眼差しと愛情のようなもの。赤ちゃんが泣いても、笑っても、イタズラしても、ぐずってもニコニコと抱きしめる母親の深い愛情に近い。

子供が小学生になって、勉強しなければ怒り、良い高校、良い大学に入るためテストで良い点数取らなければダメだとどやしつけるのは、判りやすいほどに条件付きの愛情ですね。まぁ、こんなのは論外です。

子供は親の見栄を満足させる為の存在じゃありません。しつけとか、これも愛情とか、本人の為とか色々と綺麗事並べても、子供心にそんなものは見抜いていますよ。

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家族の事

パパですよ。子供たちよ、よく聞いてね。
ママは本当によく笑うし、すぐに怒ります。でも、すぐにケロッとして、笑ってます。
口うるさいと感じる時もあったでしょうね。ママに話しても全然、聴いてくれないと不満に思う時もあったかもしれません。

パパはパパで、全然何も言わないし、怒ることもほとんど無いし、仕事の話も全くしないし、休みの日はゲームばっかりしてると思ったことでしょう。時々相談しても、何やら難しいことばかり言うので、よく判んないとか。
タバコを全然辞めないから、タバコ臭いしね。

きちんと計画立てて毎月のこずかいで生活しなければいけないのに、何故、いつも足りないから振り込んでーってママに言うの?とか。まぁ、全て当たりですw

でも、パパとママの夫婦喧嘩、見たこと無いでしょ。
隠れて言い合ってる時あると思う? 全くありません。パパは、ママが大好きだし、(ママがどう思ってるかは判んないけど、パパが好きであればそれだけで良いの)自分とは違うという事を認めており、そして違う故にパパにとっては、ママがとても大切な価値ある存在なんです。

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遺言っぽい事②

パパです。
このブログをいつの日か目にするだろう子供たちへ。
君たちも結婚して、幸せな家庭を築いている頃でしょうか。
或いはもっと早く? 大学卒業した頃かな。又は、僕より先に君たちかもしれないね。
皆、おかげさまで長生きして、君たちにも孫が出来る頃なのかもしれない。
一年後かもしれないし、今、このブログを書いた後にパパがポックリ逝っちゃうかも。

つまり、パパもママも。そして君たちもね、体の一生というのは、何ら保障されたものじゃないということ。「死」というものは、誰でも訪れるけど、どのように迎え、理解して今を大切に生きていけるかを、生きているうちにしっかりと向き合って下さいね。

只、何度も書いてきたけど、身体が死んでしまっても、居なくなったとは思わないでね。
そのように思い込まれたら、どれほど悲しい気持ちになるか判るかい?

側にいるのに。いつでも、声を聴き、君たちが聞こえなくても話しかけ、君たちが仕事や人生において迷っている時は、君たちの真っすぐな心からにじみ出る魂の声に従って欲しい、正しいと実感できる道を歩んでほしいと話しかけているのです。

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後頭部のしびれ、小さな光の粒とか

パパです。
今日、仕事に行く前に朝食でフレグラ食べていたら、差し歯が取れました。
これは面白い顔だな、待ち受けにしようかな?とか思ったのですが、見れば見る程バカみたいな顔なので止めましたw

悪ふざけは大好きなんですが、僕に残されたわずかな良心に止められましたw

今日は、僕にもその意味がよく分からない、いくつかの現象を書き残しておきます。他にも色々とあったような気もしますが、忘れましたw とりあえず、よくある事に絞ります。苦痛は無いのでほっといてますが、生活に支障が出て来たら病院行きますね。

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内なる声の聴き方②

パパでやんす。子供たちにこのブログの事を知らせるタイミングって考えてみたら僕が死んじゃった後じゃなくても良いんじゃないかな?と、そもそもの存在理由を揺るがす事実に気づきましたw

そうすると、一般的には死後に効力が発生する「遺言」という意味に対して、矛盾してきますね。でもまぁ、そこは、ほら。ね? 察してください。僕はあんまり深く考えて行動していませんので。3歩歩いたら忘れるって言葉ありますけど、それは甘いですね。
3歩も覚えていられるか! というのが僕ですw

前回の「内なる声の聴き方①」続きです。

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内なる声の聴き方①

パパです。
以前の記事にて、パパになんとなく聞こえる「声」というか、「思念」について書きましたが、実はほとんどの方に聞こえている・或いは感じているものじゃ無いかな?と思いまして。今日はそのことを少し書こうかなと。

まず、前提として。
霊視、霊聴、思念、自動書記にせよ何にせよ、聞こえたから、感じたから、見えたからといって、そんなに特別な事でもありません。実は誰でも感じられるちょっとしたコツみたいなところも存在します。あくまで、認識し得る程度の初期段階ね。

元々、幼いころは特に誰かに教わらなくても、知っていたんじゃないかな。
自然な状態に近づいた、或いは忘れていた感覚といいますか。

只、誤解の無いように書くならば、受信しやすい体質はあるでしょうね。これは、その方の霊性の高さ・低さに関係なく、エーテル体の質によるものです。でも、大半の人は受信していて、その事に気づいていない、或いは目を伏せ、耳を塞いでいるんじゃ無いかな。

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色々とサイト巡りした雑感

パパでーす。少し、意味なくテンション高め、上機嫌に書いてます。
若者風に書くと、ハイテンションバイブスまき散らしてやんよみたいなw
言わない?そんなこと。浮いてる感、ハンパないっすね、自分w

今日は、仕事も休みだったので、色々なブログやサイトを巡ってました。
その中で、感じた事、思った事などを残しておこうかなと。
主に、スピ系サイトを色々と回ってて思ったことです。
只、あくまで僕の主観であり、歪んた見方・解釈も多分に含みます。

まず思ったのは、神様や天使、宇宙人、守護神、守護霊、宇宙からのメッセージ等多くの方が、人知を超えた存在からの何らかの意図を受け取っていて、それを記している方がとっても沢山いらっしゃるなぁという感じ。
それはそれで、運営されている主催者自身と、その方に縁ある皆さんとの学びとして必要なのでしょう。

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遺言っぽい事①

パパです。今日もオッサンは元気でございます。
一般的な遺言らしいことをキチンと残そうかなと思ってね。
公正証書で残しているわけでは無く、又、web上にて書いた僕の言葉にどれ程の説得力があるのか判りませんが、まぁ、パパの言葉として覚えておいて下さいな。

・お墓等はいらないですよ。
人知れず、海にでも流してくれれば、それで良いかな。
そんなものにお金使わないでくださいね。それならば美味しいもの食べてください。

・仏壇も別にいらないです。
別に、そこでのんびりとお供え物食べている訳では無いので。
仏壇は、生きている方が亡くなった方への想いの縁(よすが)として、生きている方の為にあるようなもの。豪華な装飾の施された金箔仕上げとか、黒壇とか全くもってどうでも良いです。

仏様の魂が宿るとか言われている「位牌」もね。
そんな窮屈なところに居るわけないし、お盆期間だから、そこに戻ってくる訳じゃありません。線香も、ろうそくも、お供えも、お葬式も生きている方が作り上げた儀式であって、大切なのは「心と想い」だけです。物や儀式はどうでも良いんだよ。

家族で撮った小さなポートレートの写真だけ、みんなの笑い声がよく聞こえる茶の間に置いといてください。それだけで十分です。

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内なる声②

パパですよ。いつも長くて判りにくい書き方だけど、勘弁してね。
パパの言葉は、多くの点において、内なる声から教えて頂いている言葉を記載しています。

読んだ時、どうにもしっくりこなかったら、そのまま読み飛ばしてくださいね。さらーっと文字面だけを追っても構いません。このように理解して欲しいとか、必ず覚えてほしいという事は全くありません。

自分たちでね、心に「しっくり」とくるかどうかだけで、判断し、自分の言葉で理解を深めてくれたならば、それが何よりも嬉しく思います。

では、内なる声①の続きです。

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パパからのプレゼント

パパです。
「ブログで遺言残そうと思ってさー」と、パパの職場の仲間に話しちゃいました。
だって、プロフィールに書いているけど、「パパの遺言」というブログを検索してねって伝える前にコロッと死んじゃうかもしれないし。
又は、「パパの~」と最初の言葉だけで声出ないやwってなるかもしれないし。

そうすると、僕の家族は、「ぱぱ? 何、ぱぱって。パパイヤ?」とか変な流れになってなんやわけわからん感じで死んでくのもね。それはそれで面白いけどねw
死ぬ間際の一言がパパイヤなので、戒名もパパイヤ鈴木みたいな感じにお願いします。

パパが家族に残したいプレゼントについて、遺言らしく、ここに記しますね。

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内なる声①

パパンです。
「はじめに①~②」にて、パパはウェーターですよと書きました。
要は「内なる声」のこと。では、内なる声って何? と、君たちは思うでしょうね。
今現在、僕が理解している「内なる声」の存在について説明しますね。

まず、はっきりとした声ではありません。又、明らかに他人の声でもなく、耳に伝わってくる言葉でもありません。感覚的には、心臓の当たりでモヤーっとした不思議な温かさを伴い、まるでイメージのように一瞬で思いつくような感じ。

わかりやすく言えば、登山してとても綺麗な山の中腹で大きな岩に腰を下ろしたとします。目の前にはね、広い青空の下、遠くで鳥の声が優しく響き、風に揺らぐ草の香り、肌に感じる温かい春風、眼下に広がる草原の向こうには木々が芽吹き始め、眩しいまでの新緑となり、息をのむほどの美しさだったとします。

と、春の風景を少しでもお伝えしたいと思って文章にしたら雑だけどこんな感じ。
でも、実際にね、僕が見て感じた、感動さえ覚えた僕の目の前の「風景」を的確にすべて表せたどうかというと・・・はい、全然足りません。勿論、詩的表現力と文章能力の低さにも起因していますがw

でも、仮に、もっと丁寧に言葉で伝えたとしても、実際のその場にいる僕が得た感動は伝えきれないでしょ。文章にていかに情報量を増やしても、大して変わりません。※感動的な音楽や絵画の魅力を言葉で表現することの困難さに似ているね。

「行間を読む」という言葉がありますが、むしろ、自らの体験から想起される想像力によって色付けしたほうがパパの見た「自然の風景」に近いかもしれないね。

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昨今のスピリチュアルとか

前提として、僕は深い知識も、人より秀でた能力もありません。
自分を卑下しているわけでは無く、不完全であるということに気づいていられる自分が大切だと思うからなんです。
「謙虚」であるということが正しいかどうかを考えると、魂の在り方にまで繋がりそうで良い・悪いの境界線が僕にはわからない。只、確かに感じているのは、謙虚を演じたり装ったり、人に強いることでは無いという実感です。

巷で安売りされたキーワードのような「無条件の愛」や、「祈り」や「引き寄せの法則」、「スピリチュアル」という言葉等、どうにもストンと心に落ちない感じが残るのです。

中には、深遠なる深みに達した方が、やむを得ずそのような言葉にて表現しておられる方もいるでしょうね。そういう方は人徳がにじみ出ておりますので、素敵だなぁとしみじみ思います。

でも、上っ面の言葉だけで、綺麗ごとを並び立て、素晴らしい自分を自慢したいというエゴの表現であることに気づかずに崇め奉られて、自分を見失っている方も沢山います。

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死ぬという事

僕は君たちより、先に生まれました。
だから先に死んでしまうというのは、根拠のない思い込みみたいなものです。
パパなのか、ママなのか。又は、子供たちなのか。
昨日まで笑いあっていた同僚なのか、病に伏せている知り合いなのか。
誰がいつ死んでしまうのかは、誰にもわからないよね。

でもね、今、こうやってPCで言葉を残せるうちに記すならば・・・・。よく聞いてね。
僕は、親として、一人の人間として、嘘偽りを大切な皆さんに伝えるつもりは無い。その上でお伝えしますが、体は無くなっても「死なない」ので、そんなに悲しまないでねという事。

これね。今の僕はこんなこと書いてるけど、いざ、大切な皆さんの冷たくなった体を抱えていたらこんな落ち着いてはいられないかもしれない。僕はバカだったと時間が戻ることを願い、神をも恨み、罵るかもしれない。つまり、まだ確固たる確信とまでは到達していないので、不安もあります。
これが、パパの今の想いなんだよ。

それとは全く相反する料理を、勤勉なウェイターとして伝えたいと思います。
※↑この例えが判らなかったら、「はじめに①」「はじめに②」をお読みください。

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はじめに②

[はじめに]というタイトルで長いったらありゃしない。
まあ、多めに見てください。慣れていないもので。「はじめに①」の続きです。

④この遺言ブログは「書くべき」「何か書かなきゃいけない」という時は更新しません。
つまり、書きたくなった時、何か文字として残したいと思った時に更新します。
もしかしたら、一週間、3週間、1か月とか1年更新しない時もあるかも。もしも何方か奇特な方が、コメントを残してくれたとしても、返事させて頂くかどうかも含めて、全て僕の気分次第です。人に何かを押し付けるのは嫌なのです。同時に、押し付けられるのもね。

本当の真実の学びというのは、専門書や宗教本、難解な哲学書、現象学、精神医学の参考書やえらい方、有名な方から授けてもらうものではありません。気づきのきっかけとして出会っているということです。

何に気づくか? というのは、覚えることでも、習慣を変えることでもありません。
思い出して、「ああ、これだ。そうなんだぁ」と心の中の「感じ」に辻褄が合うことです。
つまり、思い出すということですね。忘れていたのではなく、唯物的な幻想で作られた「思い込み」のベールが取り払われた時、気づきと言えますね。

でも、これがまた僕の場合は根深くて・・・。
又、「思い込みがある・無い」という思考にとらわれると、それ自体が思い込みにもなるわけで。まぁ、この辺りはまた今度、ゆっくりと書きますね。

はじめに①

このブログは、表題通り、「遺言」です。
単身赴任で、子供たちや妻とも一緒にいられない時間が多くて、ごめんね。
もしも僕が側にいたとしても、大したことは何もできないかもしれない。それでも、迷ったり、苦しんだり、行き詰ったときに、一緒にね、泣いたり、笑ったり、時に怒ったり。

疎んじられても、そっけなくされても、それでもね。やはり貴方たちが大好きなんですよ。貴方たちが自分の嫌だなぁと思う側面あるでしょ。勿論、僕にも山ほどあります。良いカッコして見せていないだけで。又は、そう思ってるのは僕だけかもしれないけどね。
貴方たちが、自分の嫌な面、嫌いな面、苦手な面。それらもすべて含めて、たまらなく愛しいということです。

貴方たちに何も求めていないし、そんな気持ちもありません。只、何か力になってあげたい、それだけですね。でも、押しつけがましい行為や言葉、愛情を要求したりはしません。只、全ての機会は、必要な時に、必要なタイミングで、必要な学びとして訪れると確信しています。

故に、パパの言葉は遺言として、いつの日か笑って読んでほしい。
パパはバカだなぁってねwでも、ひとつだけお願いさせてね。
それは、下記の点だけは、大切に心に留めてほしいのです。

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